おわりに
 昭和30年代から平成までの核医学画像診断装置の紹介をいたしました。ふりかえって見ますに、昭和45年頃までがシンチスキャナの全盛期であり、50年前半までは、スキャナとカメラの共存の時代でした。50年代以降はComputorの発達とともにシンチスキャナの役目は終わり、その座をガンマカメラに明け渡すことになります。
 21世紀を迎えた今日、われわれは、ガンマカメラの定量性、ポジトロン測定、散乱線問題に日夜努力をしているわけですが、40年前にも先輩諸氏が同じ課題に取り組んでいたと思うと、誠に興味をそそられます。しかも、当時はどのメーカも独自の国産技術による開発で、活気に満ち溢れていました。平成のガンマカメラは技術の全てが輸入であり、わずかにソフトウェアの一部を国内企業が担当しているにすぎません。往時を知る者にとっては誠に寂しい限りです。
 最後は愚痴っぽくなりましたが、日本の核医学が益々発展しますことを祈願して私のお話を終わらせていただきます。

















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